心はいつも愛を欲してます。
この心の愛の容量も実は人によって千差万別です。
元々生まれ持った性質的に少ない愛の容量でも満足できる心の人もいれば、愛を多く貰わないと満足できない心の人もいます。
どちらが良いとか悪いとかではなく、質の違いだと思って貰えれば良いと思います。
そして育ってきた環境の過程で愛の過不足が出てきます。
育つ環境の中で貰う愛の容量と自分の心の愛の容量がマッチしてバランス良く大人になれれば良いのですが、逆に愛の容量が不足して足らない状態で大人になった時、人は他者から愛を貰おうとします。
そして愛を貰う行動が行き過ぎると、依存という罠に陥ってしまうのです。
大人になっても愛の容量がいつも足りない感覚がある場合、自分で自分に愛をあげないといつまで経っても心に愛は増えません。
なぜなら自分に愛をあげる行為をしないということは、自分が欲している愛がどういうものか?という事をそもそも分かってないからです。
しかし自分が欲しい愛が何かも分からずに、他者に愛を貰うために頑張ろうとする人は多いのです。
それが承認欲求というモノなのだと思います。
しかしいくら他者から承認されても、一時的にしか満足できないのが心です。
むしろ他者に一時的に承認されてしまうとそれが心の刺激になり、高揚感という愛に似た満足感を心にもたらしてしまうのです。
そのせいで人はまた同じ様な刺激が欲しくなり、行動がどんどんエスカレートしてしまいやすくなるのです。
しかしこれは疑似愛なので本当に心が欲しているものではないので、いつまで経っても心が本当に満足することはありません。
なので最終的には心や身体が疲弊してしまうのです。